pop up

 自分の部屋で文学を読むことができないのは目に見えない何かが居着いてしまいそうなのが怖いからで、私の読書スペースは主に通勤電車や喫茶店だ。読み始めると渦巻いて立ち上る煙、煙。そのうちに魔法のランプさながら亡霊が現れる。書き手を離れてなお飛んではねる彼らは本を閉じても帰る気配がない。そこで私はこっそりその場に置き去るか家に着くまでに払い落とす。しかしここ最近独りぽっちが身に染みるので得体のしれないものを居座らせておくのも一興かもねと夜更けの部屋で頁を繰っている。ぎゅうぎゅうぐしゃぐしゃお詰め合わせて満員電車は出発いたします。

たみさんへ

昨日の夜に聞きました。脚は痛みますか。暖かい場所にいますか。それともお気に入りのベッドの上ですか。今日の仙台は雨雪だそうですから寒くしてなければいいなあと思っています。こちらもざんざん降りが続いています。外に出る気が全くおきないので、今日はたみさんのことを考えながらくるんと丸まって寝っころがっているつもりです。

喪失したもの

 正月は家族が揃うのが当然の我が家だった。朝風呂に入り、少し照れながら「明けましておめでとうございます」と食卓につく。「えー、飲みたくないよ」と言うも拒否することは許されない御屠蘇を父から注いでもらい、年頭の挨拶。お節料理を食べながら正月番組を見る。母は料理は決して得意ではないからお店で買ってきたものが多いのだが、それでも普段とは違う大きな絵皿に並べられた料理は美味しいと思った。小腹がすいたらストーブで餅やスルメを焼いて食べる。これ以上延ばせないくらい緩慢なのだけれどもどことなく華やかな時間が流れていく。兄弟喧嘩しようものなら(たいてい喧嘩するんだけど)父親の鉄拳が飛んでくる。正月が一年を決めるんだと。「正月に喧嘩したら一年中喧嘩することになる。」と言われたってさあ。正月から喧嘩に負けて泣いている私は一年中泣き暮らすことになるんだよ。


 今年は初めて家族が揃わなかった。父が亡くなってからも残った家族で顔を会わせて前よりは少し質素になったお節を食べてささやかな一年の始まりを迎えていたのに、まず弟が帰ってこなかった。母も妹も一日から仕事があった。正月料理なんてあるわけもなく八時前には家は空っぽ。残されたのは私と二匹の猫。あーあ、帰ってこなきゃよかった。第一、帰ってくるといったってここは私の生まれ育った家ではないし毎回気がのらないのになんでこんな仕打ちを受けるんだ。結局私はぽつんと一人布団の上。毛布にくるまり膝にパソコンを抱え、窓から空を眺め、猫の毛を梳いてやり、気が向くままに丸まって眠った。夜に「誰もいないし明日帰るから。」と告げると「どうしてお母さんをいらいらさせることを言うの。」と返された。そんな風に言われたら動けない。日は昇り沈むを繰り返す、ただただそれを見やる三日間。母の言葉を振り切ることのできた四日の朝、遅い日付の切符をキャンセルして鈍行列車で東京へ戻った。





 年越しだからと重い腰上げてやって来たのに明日はみな仕事で朝からいないらしい。五年前に越してきたこの家は本当にこじんまりしていて、灯りを消した部屋に母親の寝息が聞こえる中で私は座っている。ここには居場所ないし何してるんだ。そんな大晦日なので柄にもなく今年を振り返ってしまったものの振っても絞ってもうんともすんとも出てこない。何年後か何十年後か分からないが溢れるその日まで待つことにして止めた。

 ひとつだけ。

 今年はたくさんの人に会った。来年もいろいろな人と話してみたい。今年会ったみなさん来年も会いましょう。まだ話したことないみなさんぜひ来年話しましょう。人人人に呑みこまれたい。

日光を浴びて漂っている埃はきれいだなあと思ってしまうし、頭の中も埃が積もっているようなもんだし、実際埃まみれの部屋に住んでいるのでここのタイトルを変えた。積もり積もればいいんじゃないかな。