消えた場所、残るもの

 仕事を終えて大晦日の遅い電車は人もまばらで、来年への境目はぽんと飛び越えられそうな所まで近づいている。駅には終夜運転のお知らせが貼られていて、ああそうか、朝まで電車は動いているんだな、次は新年明けたばかりの東京の夜を楽しもう、などとぼうやり考えていた。
 秋、仙台に一人暮らす母の体調が思わしくなく妹夫婦と同居することになったため母の暮らしていた仙台のマンションを引き払った。蔵王の麓の実家を手放してからはこちらに帰省していたのだが、今回の事により帰る場所は消滅。まあ、さみしいけど根無し草はいいものだなんて思っていたのだけど、さっき電車に揺られながら年末にフミコと会わないのは初めてだと気づいて急に物悲しくなった。フミコとは19の時に知り合ってからというもの、毎年毎年仙台で催される光のページェントのカウントダウンを見にいった。年越しの瞬間にハッピーニューイヤーと言葉を交わした、続く事16年。彼女が結婚した2010年は30日にケヤキの下を歩いた。それが途切れた。その事実に歩きながら泣いてしまった。このままだと泣きながら新年を迎えてしまうよ、お正月に泣いたら一年中泣く事になるよって言った父の言葉が頭をよぎる。どうしよう気分変えないと、と半べそのまま部屋の鍵を開けたら煙猫が玄関にちょこんと座ってにゃおんと鳴いてすり寄ってきた。
 ただいま、もうすぐ新しい年が来るよ、一緒にお祝いしましょう。

 兎にも角にも一年が過ぎました。私はこれから人生初のお正月料理にとりかかります。よいお年を。(いつの間にか年越してますがお気になさらず)