葉月に思う

 職場のある部屋のかたすみに、ひっそりと置かれていた車椅子が目に入った。ほんの一瞬、父の姿が頭をよぎった。それから数時間後の帰宅途中、車椅子の男性とすれちがった。その車椅子はスポーティーで、男性は颯爽に風を切っていた。素敵なデザインと思うとともに、再び父のことが思い出された。
 父が亡くなるどのくらい前のことだろう。自力歩行がつらくなっていた時期だ。車椅子を使えば楽なのに、それをかたくなに拒んでいた。「つえがほしい。けれども老人が使うようなのはだめだ。」「開くと椅子になるのがいい」と探していたが、気に入ったものが見つからない様子。
 私と妹はステッキ専門店を調べ訪ね、イギリス製の椅子つきステッキを購入した。喜んでくれた。ところが、日本人の父のには、椅子の高さがあわない。その上、病人にはとても重たいものだった。結局、父が選んだのは、長年山行に使っていた登山用ストックだった。
 私の脳裏に残ったのは、自ら車を運転して病院に行き、登山用ストックでリノリウムの床を歩いていく父の背中。どこにそんな気力があったのだろう。決して弱気な姿を見せなかった父だった。
 明日から葉月。父への思いがあふれ出る月だ。