育猫ノイローゼ

 母が猫を飼い続けることができなくなり、母と妹のみの家族会議の結果、どういう訳か、ペット禁止ワンルームに住む私が引き取ることになっていました。猫は好きだし、この猫と私はお互い見知っていますが飼うとなると話は別です。
 その昔、医師になる道は他人の命に責任を持つのは重すぎたので無視しました。結婚も人生を共に生きるというところに抵抗があるし、鉢植えの緑ですら命を預かるのは無理だと思うので置きません。
 それなのに、すでに、この部屋に猫がいる!
 引っ越してきた猫はおどおどしているし、ちょっとした物音でも布団にまっしぐら、たまに起きだすと「ここはどこだろう」という顔でじっと座っています。さめざめと泣きながらも目を離さずその様子をじっと観察している私はおかしいのかなあ。胃がむかむかしてご飯食べられないのが猫ではなくて私なのもおかしい。
 猫が早く新しい環境になれたらいいなと思うけど、普段の調子でどこにいるニャーン、ご飯くれニャーン、遊んでニャーン、と言い出したら今度は部屋を追い出される危険があるし、胃痛は続くよどこまでも。

 

迎春

明けましておめでとうございます。
賀正とか謹賀新年とか賀詞には色々ありますが、迎春が好きです。

 なんだか正月気分が足りないので書初めでもしようかと思い立ちました。小学生以来です。段の腕前などありません。もちろん書道用具もありません。店で物色したら「水でお習字」というのを発見したので購入しました。これがなかなか楽しかった。

 筆に墨のかわりに水を含ませて書いていきます。書いたらゆっくりと消えていくのはちょっとしたホラー。1000回以上練習できるそうです。半紙大の灰色の紙となぜか赤?と緑??が入っていました。



 何という言葉を書くべきか散々考えたのですが、私の頭の中に新年の抱負やら格言は全くなかったようで浮かんだ言葉はなぜか

 今日は、朝食に年を越えて冷蔵庫に鎮座していた玉子2つを炒り玉子にし、夜は常夜鍋のあと雑炊に玉子を落としたので合計3つ食べました。この3年ほどはろくに料理をしてこなかったのですが今年はきちんと自炊する予定です。ついでに、降ってきた言葉に従って玉子の年でいきます(今決めた)。

朝ごはんに、うまいハムエッグを食べるとな、つらいことも、なんとかうけとめられるもんさ。ハムエッグが、腹んなかで、クッションになるからな。
ワビシーネ農場のふしぎなガチョウ』より



これもやっぱりホラー。

 午後三時半を過ぎると宿題を持って突撃してくる男の子がいる。今日は漢字ノートにひたすら「乱乱乱乱乱乱…」次の行に移って「おばあさんが列を乱したので混乱した。」なるほど、漢字を使って一文を作るらしい。音読みと訓読みを両方使った文はなかなかだと思ったけれど、早く終わらせることのみが努力目標、その字の乱たることはなはだしい。「君の書き方は乱筆だし。」と調子に乗って口が滑った一秒後、鉛筆が嬉々として動き出し「シンプキンに乱筆と言われたのでぼくはしょんぼりした。」という文章ができましたとさ。
 乱文にて失礼。

いるかの言葉

 私はどちらかといえば孤独なんだろうか、でも“孤独”って漢字で書くと大仰だよななどと考えていた特に予定もない帰宅途中、

さびしいくらいしずかだと、コドクがすきなぼくでも、だれかとお茶を飲みたくなる

という一文を思い出した。ん、これくらい。
『ともだちは海のにおい』という本の一節。

今日は私の誕生日です。


ともだちは海のにおい (名作の森)

ともだちは海のにおい (名作の森)

夕焼け小焼けのタイムマシン

大分、間があきました。



 小学生の時の門限は17時。役場のスピーカーが「カラスと一緒に帰りましょう」と家路を促す。夏の17時はまだ日が高く、切り上げるのには惜しい気がする。スピーカーはそんな子供の気持ちを見透かしてか繰り返し歌い、山にぶつかり戻ってきた音はこだまとなって私たちの背中を押す。
 ある日のこと、私とともちゃんは、私の部屋で遊んでいた。その日は、どういうわけか、二人とも17時を過ぎたことに気づかなかった。ふと私の目に入った掛け時計の針は17時5分を指していた。しかし、私は考えた。この部屋にテレビはない。時間がわかるものは部屋にあるスヌーピーの掛け時計と太陽の光だけ。今は夏だし、暗くなるのはまだ先だ!ともちゃんがお手洗いに出て行った。その隙に、私は椅子に登り、掛け時計の針を30分ほど巻き戻した。掛け時計はタイムマシン。スヌーピーの手は16時半を指し、ウッドストックは何ごともなかったかのようにコチコチと左右にゆれている。戻ってきたともちゃんが言った。「今、何時かなあ。」「まだ17時前だよ。」ともちゃんは座り、私も時計のことはすっかり忘れて再び遊びに没頭した。時間のバリアを破ったのは母親の「ごはんよー。」の声。「まだいたの、もう18時よ。」ともちゃんは泣きそうな顔ですっくと立ち上がると慌てて駆けていった。走っていけばものの1分。ともちゃんは玄関を開けたとたんに怒られる。「今、何時だと思ってる。うちさ入れねえぞ!」それからしばらくして夕日は蔵王の山へと落ちていった。

 何をして遊んでいたかは覚えてないんだなあ。ともちゃん、ごめんなさい。

 またどうして思い出したかというと、星新一ショートショートの「自分の周りだけ音がでなくなる機械があって、機械の周囲は音がでないからガラス割って進入しようが自分がいくら音をたてようが無音なのだけど、防犯ベルは鳴っていたから気づかれた、こんな大胆な泥棒は始めてた」というような話を読んだからです。

小豆煮る夜

 昨日、夜も21時過ぎに「ぜんざいが食べたい」と思い立ち、小豆を煮始めた。全く、さんざん散らかり放題の部屋で鍋をじっと見すえて小豆煮てる女なんてろくでもない。おまけ程度の吸水、そして点火、一時間が経ち二時間が過ぎ、まだ煮えない。「あーぶくたった煮え立った煮えたかどうだか食べてみよう、むしゃむしゃむしゃ」「まだ煮えない」と唱えること幾度(生煮えの豆は不味かった)、眠気も襲ってくるし、もう失敗してもかまわんと強火にしたら、あっという間にふくらんだ。完成。今思えば、私が煮えたかどうだか次々とかじった豆は、粒あんを想像さえすれば見ただけで生だとわかる代物だったのでどうしようもないのだが、それよりも、袋に入っていた小豆を全部ざざっと開けて煮たことのほうが問題で、つまり、小鍋いっぱいの煮豆ができてしまった。もさもさっといつの間にか増えているのはわかめちゃんだけじゃないんだ。我が家には鍋は一つ、この大量の煮豆が入っている鍋しかない。やかんもない、水沸かせない、米炊けない、料理できない 煮豆を入れる大皿もない、食べつくすまでは水しか飲めない、ないないラッパーの私。
 今日は誕生日なので、ケーキでも買って帰ろうかと思ったのだが、ふっくらとふくらんだ小豆がつきまとって仕方ないので、もちを入れたぜんざい食べた。小豆でハッピーバースデートゥーミー。
 
 小豆とごうか、人とって食おうか シャキ シャキ
 小豆炊きましょ、一人で食べましょ パク パク

もりのなか

 「もし、そこのお嬢さん」と呼び止められ、もらった袋には「○○(所属)の娘さん」と書かれていた。森深くへ迷い込んだかな、お嬢さんなんて呼ぶのはおおかみか悪い魔女と相場は決まってる。赤ずきんかグレーテルか、そのうち食われる。