刺客あらわる

 ビジネスマンに子供連れ、革靴にビーチサンダルピカチュウ帽子。混沌とした夏休みの地下街を、ただその流れにまかせてのらりくらりと歩いていた。流れ流れてどんぶらこ 辿り着いたら鬼が島 一旗上げて宝船、とぷかぷか浮いていたら、こちらに向かって歩いてくる集団の中にただならぬ気配。はっと目を見やると、鋭い眼光の男がじりじりと私の方へ近寄ってくるではないか。手には弓。つがえた矢の先は私に照準が合っている。ロックオン、時すでに遅し。覚悟をきめた私は、せめてもの抵抗をと敵を睨みつつ歩を進める。もはやここまでかと思ったその時、天から朗らかな笑い声が響いた。
 喧騒の地下街。「ふふふふふ、すみません。」若い女性がすれ違いざま、ぺこりと頭を下げた。その脇には足を踏ん張りオレンジ色のタオルを力いっぱい引いている男の子がいた。まだ私を狙ってる。それじゃあと、手は振らず睨み返してさようなら。

夏休みの宿題−日記

8月1日 土曜日 くもり
 起きたら9時でした。昨日は夜7時にねたので1日の半分もねてしまいました。もったいないと思いましたが元気いっぱいで起きれたのでよかったです。歯医者さんに行きました。2時間待ちました。私の順番が回ってきません。もう帰らないといけない時間になってしまったので勇気を出して順番を取り消してもらいました。それから駅に変な人がいました。頭からはこをかぶっているし、おひめさまのような服を着ていました。おもちゃのお金で食べ物を買おうとしていたのでびっくりしました。あのはこかぶったままどこまで行くのかな。今日一番心に残ったのは、帰り道に見た人達でした。お父さんとお母さん、その間にお兄さんがいてならんで歩いていました。お兄さんがお父さんとお母さんとかたを組んでいて、仲のいい家族だなと思ったけれど、よく見ると3人とも泣いていました。いったいなにがあったんだろう。もうねむいです。だけどかが1ぴきいるのでこまっています。

駅で見た変な人がだれか分かったよ→http://www.geocities.jp/trois_voix/yanana_profile



ということで今日から夏休みです。

柱の傷

 母が住んでいる賃貸マンションの押入れの奥に高さ180センチほどの木の板を1枚隠してある。実家を売り払った際に私がこっそり持ってきたものでたぶん母は知らない。
 父が死んで家を売るにあたって古い裏屋を取り壊すことになり、置きっぱなしになっている大量の荷物を整理していた。その時に目に入ったのが、一本の柱に引かれている無数の赤青鉛筆の線で、横には月日と名前が印されていた。五月五日のこどもの日父親が柱に線を引く、なんてすっかり忘れていたのだが、柱を眺めているうちに毎年必ず私の名前が一番上にあるのを発見してにやけてしまった。あの頃は「ねえさん、ねえさん」とくっついて離れなかった弟妹もいまや名前を呼び捨てるし、身長だっていつの間にか追い越されてしまった。そんな私にも誰から見ても姉だった時があったのだ。いよいよ裏屋を解体する日、大工達が屋内で準備を進めるのを眺めていた私にある考えが浮かんだ。そうだあの柱を持っていこう。柱を真っ二つにしてもらうしかないかなどとよくよく見れば、身長が刻まれた部分は柱そのものではなく柱に貼られた一枚の板だった。「おじさん、その板はがせる?」にこっと笑った大工の手によって板はいとも簡単にはがされ、私は過去を手に入れた。ねじれた釘がささったままのその板を私は意気揚々と家族に見せた。ところが、誰も懐かしんだりしなかった。母は一瞥し「まさか、それ持っていくつもりじゃないでしょうね」と静かに否定した。妹も弟も「頭おかしいんじゃないの」とあきれている。そもそも実家がなくなるということに対していつまでも抵抗しているのは私だけだし、この家族は物事全般に執着心がない。私は「ちょっと見せただけ」と言葉を濁し、引っ越すその日まで、板を自分の部屋のクローゼットにしまいこんだ。
 引越し当日、トラックへ荷物を運び入れている業者に人目を盗んで板を渡して一足先に新居へ向かった。新居に家財道具を入れるのは私と妹の役目で母と弟は後から来る。妹さえ口を開かなければ万事OK。まあ、ばれたとしても、そんな大きな板簡単には捨てられないだろうし持ってきたもん勝ちだからどうってことない。それからもう何年も経った。一度も押入れは開けていない。ひっそりと眠っている1枚の板の事を考えながら柏餅を食べた。

今朝の夢

そこは大きなスーパーの文房具売り場のようなところだった。新学期の準備か品定めをする私達兄弟。無機質な金属のラックにピカピカの一年生使用の濃い黄色のバッグに入った道具が狭い通路に所狭しと並んでいた。何でもかんでも黄色いバッグに入っているのでおかしな売り場だと思いつつ、私は下敷きのようなものを選び、父に「一緒にお願い」と渡した。
それから家族揃って路地を歩いた。細い道を抜けきると昔ながらの商店街があった。あ、知っている街だと私は思う。でも街の名前は思い出せない。目の前にうどん屋があり、電信柱二本ほど離れている店に天婦羅の入ったバットをもったおばちゃんが見えた。山積みになっている天婦羅に値札が竹串で刺さっている。「ここは二号店なんだ」と母に言う私。「食べて帰ろうか」ところが父が見当たらない。くるっと振り向くと父が自転車にまたがっている。カゴの中に直接入れられた大量のうどんとそば、そして天婦羅。ああ、うちでつくるのか。


と思った瞬間、アパートの住人がガラガラと階段をかけ降りる音で目が覚めた。鮮明な夢を見たのは久しぶりなのでうれしくなった。

中学生の頃だったか隣町に巨大なショッピングセンターができた。週末になると家族で買い物に行くようになった。母が食料品を選んでいる間、妹と弟は母についてまわり、私と父は本屋に行く。本であれば「一緒に買って」と渡せば無条件に買ってもらえた。買い物も終わり車に戻ってきた時には、妹と弟は菓子やホットスナックを、私は本を手にしている。彼らは私の本にさらさら興味はないが、私は彼らの持っている菓子には大いに興味がある。「少しちょうだい」「いやだ」「ちょうだい!」「いや!」車の中で毎回喧嘩になった。
また、我が家では、ステーキ、すき焼き、鍋焼きうどんに年越しそばなどは父が腕をふるった。総じて濃い味付けで母はしばしば顔をしかめていたが、父が台所に立つのは誰もが楽しみだった。

この違い

 子どもの頃「一本橋こちょこちょ たたいて つねって 階段のぼって こちょこちょこちょ」という腕でやるくすぐり遊びがあった。これが「東京都 日本橋 がりがり山の パン屋さんと つね子さんが 階段のぼって こちょこちょこちょ」というものだということを知ったのはつい最近。ストーリーがあることに驚いたのだが、これは序の口だった。
 「いちじく にんじん さんしょに しいたけ ごぼうに むくろじ ななくさ はつたけ きゅうりに とうがん」という数え歌。これは他の食べ物に置き換わっているものもあるのだが、私が祖父から教えてもらったものはこれ。「いちじく にんじん さんしょに しいたけ ごぼう ろくでなし しちめんちょう はっとばせ くやしい とった!」食べ物はどこへやら、いったいどういうことだろう。ろくでなしといわれてくやしいから相手をぶっとばして七面鳥を奪い取ったのだろうか。私はお風呂を上がる前はいつもこれで十を数えていた。
 「じゃんけん ぽっくりげた ひよりげた」というじゃんけんをするときの掛け声。ぽっくりもひよりげたも下駄の一種。ところが私の育った地域では「じゃんけん ぽっくりけつ 馬のけつ」下駄が馬のお尻に変わってしまった。この違いはどういうことだろう、もとの掛け声をを悪がきがおもしろおかしく変えたものが残ったのだろうか。彼らはそっと馬の後ろへ回って尻尾の毛をひっぱったりして後脚で蹴飛ばされたりしたのだろうか。そういえば近所に一頭だけ馬がいた。二頭小屋にぽつんと栗毛の馬。いつも頭をこちらへ向けていたから尻を見ることは結局なかった。

上京の日

新幹線のホーム。見送りに来てくれたのは当時付き合っていた人で、ついに遠距離恋愛かと思いきや、発車直前の別れ話。発車のベルは鳴るし、とにかく私はこの新幹線に乗らねばならない。


東京。

迷い迷ってたどり着いた今日から暮らす部屋。アパートの前に車で来ていた父と弟、叔父が待ちくたびれていた。持ってきたのは、中古の冷蔵庫と洗濯機、寮で使ってた寝具、ソニーの赤いダブルデッキ、物置から出したような折り畳み足テーブル。帰りぎわに弟が「こんな臭い水飲めない!」と吐き捨てた。


もう10年以上前の話です。